金属または非金属製品の表面に、金属の薄い皮膜をかぶせる技術を「めっき」といいます。太古の時代、仏像や土器などの対象物を腐敗などから防ぐための生活の知恵が進化し、今では寺社仏閣の建物や仏像、家電製品の基盤など、実に多種多様な製品に施されています。めっきはカタカナで表記されることが多いため、外来語のように捉えられますが、実は日本語。英語ではPLATING(プレイティング)といいます。
めっきの起源は諸説ありますが、およそ紀元前2000年のパルティア人がバグダッド電池という土器を腐敗から守るために金や銀を溶かした液を塗っていた、というのが最初ではないかとされています。この古代の電池はパルティア遺跡から発掘され、のちに金属めっき装置だったのでは、と言われています。これが事実だとすると古代メソポタミアの技術力の高さには驚くべきものがあります。
もう一つのルーツとされるのは紀元前600年ごろのスキタイ人。南ロシア・コーカサス・アジア一帯を支配していた遊牧騎馬民族・スキタイ人は、金めっきで加工された動物文様の美術工芸品を作っていました。当時は青銅表面につけられた水銀アマルガムの金めっきでした。スキタイ人はアルタイ山脈から出る金と銀でできたエクストラム合金を使って、加工していたといわれています。
国土交通省
国土画像情報(カラー空中写真)
仏教とともに中国から日本へ、めっき技術が伝えられました。日本では、4~7世紀の古墳時代にはすでに使われており、仁徳天皇稜の埋蔵品にある甲冑に、めっきが施されているのが最古といわれています。当時は水銀を使うアマルガム法と呼ばれる手法で、古墳から青銅馬具類や銅の装飾品などに金めっきされたものが多く出土しています。かなり大昔からめっきという技術は生活の知恵として使われていたのですね。
ご存知、奈良の大仏にも金めっきが施されています。用いられた手法はアマルガム法。当時は塗金(ときん)、または焼着めっきと呼ばれていました。青銅で鋳造した大仏を、水銀に金を溶かした合金(金アマルガム)で表面を覆い、それを加熱して水銀を蒸発させると金だけが表面に残ります。使用された金は430キログラムといわれ、陸奥国(今の東北地方)で発見されたものが使われました。
古くから行われていためっき技術ですが、現在の主流である電気めっきの歴史は比較的新しく、150年くらい前といわれています。日本で初めて電気めっきを行ったのは、鹿児島藩主の島津薩摩守斉彬(なりあきら)です。斉彬は、安政元年(1854年)に日本最初の軍艦を造った人として有名です。他にも桜島湾に西洋流の新工場を建設し、製鉄をはじめ鎧や兜など、様々な金具に金や銀の電気めっきを施しました。
斉彬の大鎧は、150年以上を経た今でも色あせる事なく輝き、純金と見間違えるほどの美しく精巧な金めっきが施されています。斉彬の命により、科学者・河本幸民(こうみん)が西洋技術を応用し、電気めっきを施したものとされています。斉彬は西洋技術をそのまま模倣するのではなく、日本の伝統的な技術と融合させ、日本の風土にあった新しい工業技術を生み出しました。斉彬の大鎧は、当時の先端技術が見てとれる貴重な資料です。
電気めっきが工業化されたのが大正3年のころ。次第に種類や市場は拡大し、設備は改良され、装飾目的以外にも防錆機能や表面処理技能などの応用技術が目覚ましい進歩を遂げました。ただ、基本的な原理は現代の電気めっき技術と比べても、変わりありません。時代のニーズに応えるように、様々な生活分野や産業分野において、応用技術が成長してきたといえます。
現代では錆びない鉄として1913年に開発されたステンレス鋼というものが知られている。これは鉄(Fe)に、クロム(Cr)とニッケル(Ni)を一定量加えたもので、金属の表面に酸化皮膜を形成することで錆の発生を防いでいる。
起源415年にこんな技術は無いはず。
この地方で産する鉄は不純物としてリンを大量に含んでおり、製造過程で鉄柱を叩くことにより、錆びにくいリン酸鉄となって表面を覆っているのでさびないという説が有力らしい。また、リンを含みすぎると鋼材は脆くなり形を留め難くなるという事実からも、リンの微妙な配分など金属に対する詳しい知識も持ち合わせていたインド人。
金メダルは純金で出来ていると思われている方も多いのではないでしょうか?金銀銅メダルの授与するスタイルは1907年に国際オリンピック委員会総会で五輪憲章に定められました。
近代オリンピックにおける金メダルの大きさは少なくとも直径60mm、厚さ3mm以上。
”純度92.5%以上の銀製メダルの表面に6g以上の金めっきをしたもの”とオリンピック憲章(規則70 付属細則2-2)に定められています
(銀製金めっき)。これは、開催国によって経済的な不利が無いようにとの配慮したものです。
ちなみに今の相場(16年1月)で、金メダルを販売するとしたら価格は実質52,500円位です。(もちろん販売はしていませんが・・・)
開催国で金の使用量は異なるのでソチ五輪の使用量6gで計算すると
金 材料費:6g x4,500円/g=21,000円
銀 材料費:525gx60円/g=31,500円
ソチ五輪のオリンピックメダルは直径100mm、重さ531g、厚さ10mmでした。
ロシア伝統のモザイク柄が特徴で、雪山の頂上から砂浜へ日光が降り注ぐ景色がイメージされている。
金の純度(品位)表示はカラット法により24分率で表示されます。24金は金の含有率が24/24であることを示し、24KやK24と刻印します。Kはカラットの頭文字です。24Kでは軟らかすぎて傷が付きやすいので、主にジュエリーには18Kが使用されます。他の金属を加える割合を変えることで硬さや弾力、性質が変わり、イエロー・ピンク・ホワイト・グリーン・レッドなどの色を出すことができます。
ホワイトゴールドは純金に白い色をしたパラジウムを加えたもの。18Kホワイトゴールドとは、重さで純金75%とパラジウム等を25%混ぜたもので、WG18Kと刻印されます。中にはイエローやピンクの上からロジウムメッキをした製品もありますが、それをホワイトゴールドと称してはいけないとされています。また、以前はパラジウムの代わりにニッケルが使用されていましたが今はパラジウムが主流となっています。
金は太陽に、銀は月にたとえられるように、青白く銀色の輝きを放ちます。可視光線すべての波長に対し反射率が大きく、電気と熱の伝導度は金属の中で最も高い性質を持っています。ちなみに、その性質を活かして導線や端子に銀を用いた音響機器は最高級とされ、マニアの間で評価が高いそうです。ジュエリーの場合で知っておきたいのは、銀は空気中の水分などと反応して表面が黒ずみ、光沢を失います。これを銀の硫化と呼びます。
プラチナは白金と書き、白い金と読めることからホワイトゴールドと混同されやすいのですが、全く別の貴金属です。プラチナは金に比べて比重が重く、融点・沸点・硬度が高いのが特長です。銀色の光沢をもつ金属で、化学的に非常に安定しています。最古のプラチナ製品は、紀元前720~659年ごろの作とされる、エジプト・テーベの遺跡から出土した「テーベの小箱」。ルーブル美術館に収蔵されています。
ロジウムの塩の水溶液はバラ色をしているためか、ギリシャ語のバラ色から名づけられました。ロジウムは非常に硬い金属で、摩擦や変色への耐性が強い金属です。この特性を活かして、酸化せずに非常に硬いめっきとして利用されているのがロジウムめっきです。めっき加工するには、硫酸塩を水に溶かして電気分解します。非常に反射率が高いので、光学器械の反射面によく利用されます。
水素ガスを結晶の中に溶かしこんでしまう特性があるパラジウムは、水素吸蔵合金としてよく利用されます。価格が不安定なため、ニッケルなどの金属への代替が進められています。白色光沢のめっきで純パラジウムと、パラジウム・ニッケル合金めっきがあります。金めっきの下地として耐食性をあげる役割のほか、ロジウムの代用品の銀白色めっきとしても使用されます。
中国の秦の時代の兵馬俑(へいばよう)遺跡からクロムめっき加工された長さ90センチの長剣が発見されました。剣は約2200年前以上経過した今でも光沢があり、重ねた新聞紙を切断するほどの切れ味をもっているというから驚きです。この剣のほかにもクロムめっき加工された矛や刀、大量の矢じりが同時に出土されました。この剣の技術について残された書物はなく、なぜこのような技術があったかということは謎のままです。
実際には「メッキ」という名前の魚はいませんが、ロウニンアジやギンガメアジなどの銀色に輝くトレバリー類の幼魚を総称して「メッキ」と呼んでいます。本来は南方系の魚で夏の終わり頃になると南の海から潮に乗って流れてきます。しかし、寒い冬が近づくと、低下する水温に耐えきれず死んでしまうとか。ただし、温排水の流れ出している場所に限っては越冬し、大型化している魚もいるそうです。
金属表面処理のことを英語で「metal finishing」といいます。一般的な金属製品は、酸化しないよう塗装、めっき、化成処理、溶射など何らかの処理を施します。この処理を施していないものはfinishされておらず、unfinished(未完成)といいます。スポーツの体操競技でも最後のfinish時点でのキメが競技の得点を大きく左右します。金属材料の酸化・腐食がなくならない限り、finishという仕事はなくならない分野といえます。体操同様に、よりよいfinishを追求したいものですね。